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一線を退き、孤独な生活を送る元判事ルファトが住むアパートが武装した警官に襲撃され、隣人一家が皆殺しにされた。たった一人生き残ったクルド人少女ヘジャルは行き場もなくルファトの部屋の前にたたずむ。両親も殺されたいたいけな少女を襲う過酷な運命。ルファトもどうしていいものかわからない。クルド語しか話さないヘジャルとルファトの間に立って橋渡しをしてくれたのは、家政婦のサキネ。彼女は身分を隠し、トルコ人として暮らしてきた。サキネとヘジャルにクルド語で話すのを禁じるルファト。ここにトルコにおけるクルド人の微妙な問題点が浮き彫りにされる。やがて心を少しずつ開くようになるヘジャルとルファト。まるで祖父と孫のような温かい交流が生まれるのだが…。ラストでヘジャルを見送るルファトの寂寥感には熱くこみ上げてくるものがある。 |
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脚本、プロデューサーも兼ねたハンダン・イペクチ監督は、女性監督。クルド人問題を封じ込めていたトルコで、この映画によって風穴を開けた。アジアフォーカス・福岡映画祭2003、第16回東京国際女性映画祭でこの映画が上映され、それに伴って来日し、多数のインタビューをこなした。1960年代には数百本の映画を製作していたトルコ映画界も現在は年に10−15本程度の映画を製作しているだけ。長編劇映画の監督は「軍隊にいる父」(94年)に続き本作が2本目という新人監督だが、本作でアンカラ国際映画祭で最優秀主演男優賞、最優秀助演女優賞、イスタンブール国際映画祭で観客賞を受賞するなど高い評価を受けた。 |
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「少女ヘジャル」はトルコ文化庁の許可を得て撮影されたが、トルコ国内で公開5ヵ月後に上映禁止となった。警官がクルド人に対して残虐すぎるという理由だったという。その後監督が裁判に持ち込み、6ヶ月かかって勝訴。映画は再び上映を許可された。その後、監督個人が告訴されたが、昨年9月福岡に来る直前に却下されたという。 |
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クルド人の居住地はイラン、イラク、トルコ、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンの6カ国にまたがり、分断されている。しかし国境を越えて隣国と自由に往来している姿は、カンヌ国際映画祭カメラドール賞のバフマン・ゴバディ監督の『酔っぱらった馬の時間』や岩波ホールで上映された『わが故郷の歌』でもよくわかる。トルコには1900万人近くのクルド人がいるといわれている。トルコ東部の山間ではクルド人民族主義者のゲリラと政府軍の間で10年以上にわたり戦闘が繰り広げられてきた。この映画の時代背景は1998年で、クルド人問題が最も激しい時期だった立った。トルコではクルド人の存在そのものが拒否され、クルド語も話せなかった時期があった。しかし現在ではクルドの民俗音楽のCDが発売されたり、一部の学校でクルド語教育が行われるようになった。また近年、クルド語の芝居も上演された。 |